霊視をさせて頂いておりますと、自己評価が低いことが、ご自身の人生の扉を、狭めておられる方が少なくありません。
仕事や恋愛、結婚と、人生の大きな帰路に立った際に、本当に望むものではなく、「自分には、この程度だろう」「これぐらいが無難だ」と、思い込みの記憶が選択判断の主導権を握ってしまうのです。
勿論、自分のスキルや状況によって、優先順位を変更せざるを得ないことも度々ありますが、不安感イコール「相応しくない」ではなく、大事な選択判断程、誰にでも起こる、思いの確認であり、武者震いの様なものです。
霊視鑑定のご依頼者の中に、医師を目指され、現役で医大に合格されたのですが、大学の6年目に「自分に医師は向いてない」と判断され、辞めて、とても興味のあった、大手の企業に入社された女性がいらっしゃいました。
しかしながら、霊視のご依頼は「現在の仕事が向いていないのではないか…」といった内容でした。
学力としては優秀であることは、間違いのない事実なのですが、霊視を進めていくと、いつまでに、これとアレとを…、といった、同時処理能力が些か低く感じられましたが、苦悩される程の問題を感じることが出来ません。
目標設定が高すぎるのだろうかと、深く入っていきますと、其処に視えてきたものは「怯え」だったのです。
何の怯えなのか?
霊視は何枚もの層を、一枚ずつ剥離していく作業に似ていますが、怯えの心情を少しずつめくっていくと、現れたのが、「期待に応えなければならない」という重圧と不安感でした。
やはり、天は二物を与えるのだと思える程に、目鼻立ちの整った女性でございますが、医師の道を止める判断をした時に、ご両親やご家族の方々を大変落胆させてしまった意識が、せめて大手の企業への就職に繋がったに違いなく、名誉の挽回であり、ご両親の期待に応えたい一心の選択だったのです。
私が切り取ったのは、「自分にむいてない」という彼女の言動でした。
医師も向いてない、大手の企業も(業種)も向いてないかも…。
霊視内容は現在の職種に関しででしたが、最初の医師が向いてないに焦点を合わせていくと、患者の前で白衣を着た彼女が、震えている姿が視えて来ました。
足がすくんでしゃがみ込み、泣きじゃくっている彼女の回りには、大勢の白衣の男女が取り囲み、腕組みをしながら、病気の所見に関して話し合っていました。
その光景が視えてきた時、散乱していたパズルが一瞬にして組み合わさったのです。
彼女が医師の道を断念したのは、向いていないと判断したからではなく、失敗を恐れた為でした。
人の命を預かる仕事の失敗は、自分の進退どころか、ご両親の期待を裏切り、名誉すらも傷付けてしまう事になる…、という「怯え」だったのです。
もし、その時のご自分の感情を、正直に誰かに話していたら、彼女は医師の道を止めることはなかったと思います。
ご両親の喜ぶ顔が見たくて、懸命に勉強し、周りからの彼女へのイメージや、期待通りの自分でなければならないと、不安すら表に出すことを、自分に許さなかった、その結末が「怯え」を生み、無自覚に「向いてない」という手段で、怯えから逃避を続けて来たのです。
そして再び、医師の道をやめて入社した人物への期待と、大手企業という事で、辛うじて繋がった両親の期待感の前で、又しても、失敗は許されない「怯え」に雁字搦めになり、簡単意見すら言えなく、コミュニティ障害ではないかと悩み、次から次へと架空の病を作り上げていました。
喜んで貰えることが嬉しくて頑張るのは、この上ないエネルギーを生み出しますが、其れが責務や義務化してしまうと、負のエネルギーに転じてしまいます。
彼女に必要なことは、自己を取り戻すことと、ご自分の苦痛の上に成り立つ、両親の喜びは無いことの気付きでした。
もっと自分を愛してください。
弱い自分を受容してください。
これが私の心からのメッセージでした。
霊視鑑定結果に、彼女の思考は理解が出来なく混乱しているにも拘らず、誰にも気付かれない様に抱え持っていた「怯え」が、号泣となって流れ出しました。
先日、散々、我欲に走った生き方をしてきた方が、自己責任を突き付けられてナーバスになり、その苦しみの果てに「自分を愛する」ことに辿り着いた旨のブログを目にして、憤りを隠せず、胸が苦しくなりました。
自己満足の為に嘘と裏切りを繰り返しながら、全てがシナリオだったと、スピリチュアルを都合良く切り取る思考そのものが、中身の無いモノマネであることに気付いて欲しいと思います。
どんな生き方をして来ようと、人は本気で変わろうとすれば、いつからでも生れ変ることが出来ます。
しかしながら、人は変わらなくても良く、有りのままの自分を愛しなさい…、と説く宗教的なスピリチュアルニストもおられるようで、自己顕示欲の強い人間が、自ら作り出した障害や問題の根本を煙に巻き、更なるエゴを作る危険性を感じます。
ならぬものはならぬのです
ダメだった自分と向き合い、聞こえて来る言い訳を跳ね返し、このダメな自分を救えるのは、この世にただ一人、自分だけだと知った時、人は変わるのです。
自分を愛するということは、他人を愛せということに行き着かない「自己愛」は、単なるエゴなのです。
先の自分見失うまで、大切な人の期待に応えようとした女性への、「自分を愛すること」を伝え話した直後でしたので、この二つの「自己愛」の本質的な違いを知って頂きたかったのです。
本日も最後まで読んで頂きましてありがとうおざいました。
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