霊視鑑定は灯かりの扉から

スピリチュアル霊視 『灯かりの扉』

許せないからこそ、手放しましょう

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四十五歳を過ぎた頃から、
「まっ、いいか」
と流すことができるようにもなりました。

それまでは些細な言葉ひとつで神経を揺るがし、
怒りの感情を野放しに出来ず、
「ちょっと、待ってよ。冗談じゃないわよ」ってことになり、
納得のいくまで追求していくことが日常茶飯事でした。

そんな性格ですから相手がお客様であろうと、そこの部分は譲れずに、
「お金を払えば、何をしてもいいって訳じゃないんだ」って具合に、客席で始まっちゃう。

しかも、私は声が大きい…。

一旦そうなると長くなることを知っているスタッフたちは、
「あぁ、やっちゃった…」の表情で、
何はともあれ謝りなさいのシグナルをお客様に送るのですが、
お酒も入っての男魂に火が点いて、論点は時間と共にずれていき、
相手が悪かったと言うまで続きます。

ある年の仕事収めに、来年の抱負をスタッフたちと話をしていて、
「私は、来年からお客様をキカセない(遣り込めない)」と誓った正月の二日に、
カウンター越しに大声が飛んでいました。

どうも怒りの基準というのがあるようで、
過去を振り返ってみると、
相手の行動や言動に、寸分でも「悪意」を感じた時なんだと分かります。

そこを追求すると、大抵はそんなつもりじゃないと言い訳をするのですが、
そんな口から出まかせが、私に通用すると思ってるのかと、
霊視との境界線が分からなくなるほどに、
更にエキサイトしていくことになります。

そんなこんなを随分と繰り返してきたある時に、
突然気が付いてしまったのです。

こんな大人になってまで、自分の言動に責任が持てない人間に、
心とは、魂はとかを熱弁したところで、

「昨日はママが悪酔いして絡まれちゃって、
帰ろうにも収まらなくて大変だったよー」なんてことになっていて、

時間差で疲れがどっと押し寄せ、
不毛この上なく気持ちが折れたのです。

結局、相手は何も感じてなどいなくて、
心を擦り抜けるどころか、
心の境域すら通ることはなく、
耳の機能さえ嘲笑うかのように、
リセットされているのです。

霊視鑑定のお申し込み内容にも、
様々な人間関係の感情によるものが多くありますが、

「許せない」
という怒りの感情は自分を雁字搦めにして、
忘れたいはずの場所に縛り付けてしまいます。

頭では分かってるのですがと殆どの方が言います。

しかしながら、頭で分かるということは、
逃れたいために頭の中で処理しようとして、
許せない言動や行動を何度も再現させてしまい、
結果的に記憶を定住させてしまっています。

私がこんなに苦しんでるのに、
あの人たちは嘲笑っているのだろう…。

こんな理不尽なことがあっていいはずはない。
絶対に許さない。

という流れになっていくのですが、
怒りの念が生霊として憑依してしまうことが稀にありますが、
怒りの感情によって傷を負うのは、
自分自身です。

理論的、倫理的にことを図ろうとすると、
真理を見失ってしまいます。

何がどうであれ自分を苦しめた相手ならば、
一刻も早く自分の中から追い出してしまうことです。

怒りの感情から生まれるものが、
自分を幸福にすることは決してありません。

つまり言語の違う方々なのだと、
関わることを放棄した方が自分のスピリチュアル(魂)を守ることなのです。

それほど怒りまくってきたのかも知れませんが、
その境地に立つと肩の余分な力が抜けるようです。

今は「悪意」の言動や行動に対して、
「はぁ…」の溜息と共に、
私のスピリチュアル=「魂」まで入って来ないように手放しています。

手放された「悪意」の波動は、放出した本人へと帰って行きます。
これは大いなる宇宙の原理原則です。

手放しましょう。
それが唯一できる報復のカタチです。

本日も最期まで読んで頂きまして、ありがとうございました。
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