霊視鑑定は灯かりの扉から

スピリチュアル霊視 『灯かりの扉』

念(おもう)というエネルギー

更新日:

何処の国の言語にも文化や人の気持が反映されているに違いなく、
言葉そのものがスピリチュアル=「魂」なのだと思います。

残念ながら私は日本語以外に話すことが出来ませんが、
歳を重ねていく毎に、日本語が持つ意味の奥深さを感じ、
感動すら覚えることがあります。

例えば「思う」っていうことに、
どんな意味が含まれているか、
感情や情景によって「思う」は変化するんですね。

頭の中でさらりとオモウは 「思う」 、
心の中で感じてオモウは 「想う」 、
必死で願いオモウは 「念う」 、
こんな風に私達は自然と使い分けをしていますが、
ここでは最も温度の高い、
「念う」について話をしたいと思います。

「念う」には、強烈なエネルギーがあります。

一心不乱に念じる姿には、些か恐怖も感じますが、
この念いにはそれだけのパワーがあり、
このパワーが恨みや嫉み、憎しみの感情を伴った時には、
念じた本人の身体からエネルギーだけが脱け出し、
一人歩きを始めます。

これが俗にいう「生霊」です。

バーチャルの世界では白装束に鉢巻!?をして、
丑三つ時に釘を打つ姿がメジャーですが、
「生霊」は人の「念い」のエネルギーの束が絡み付く、
一瞬の出来事なのです。

怖いのは、恨みや憎しみの感情を抱いた本人さえ、
自分の念が相手に憑依したことを知りません。

例えば、恋人を横取りされたことへの憎悪が、
「生霊」となって相手に憑依して、
心身を苦しめているにもかかわらず、
本人は別の恋を初めて憎悪など何のことやら、
「今が幸せ」ってこともあり得るのです。

物質の全てにエネルギーが存在しますが、
人間の感情というエネルギーほど、
深く強いエネルギーはありません。

人間は誰の所有物でもありません。

自分自身でさえ自分のものではなく、
両親の肉体を通して授かり、
預かった生命だと思うのです。

そういった領域で思考が動けば、
嫉妬心に狂い、
生霊と化すなんてこともなくなるのだろうけど、
現実は男も女も、
思考より感情が優先され、
その感情よりも「性」が優先される生き物ですから、

雌雄同体にでもならなければ、
未来永劫続いていくのでしょう。

ふとロバート・デ・ニーロとメニル・ストリープ主演の、
「恋に落ちて」を思い出しました。

デ・ニーロの心が別の女性、
メニル・ストリープに動いてしまったことを告げられた妻は、
肉体関係になっていないと話すデ・ニーロに、
「その方がもっと悪い」と、
心痛で顔を歪ませるシーンがあります。

本能のままに済ますことの出来ないもの・・・、
つまり重なり合った魂を感じたのではないでしょうか。

不倫とは呼ばせたくない、
恋がきっとあるのだと思いたいのですが・・・

今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
良い週末を・・・。

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