以前ブログへの問い合わせにもありましたが、
人は日常の生活のなかで「虚しい」と感じることがあります。
私自身も数え切れないほどの経験をしていますし、
何処から現れ、何処へ去っていくのか、
一日のなかで何度も襲いかかってくることもあります。
満たされない、空虚感といった感情を「虚しさ」と呼び、
その心の状態に陥っている様を「虚しい」というのだと思いますが、
「私はいったい何をしてるんだろ」
「こんなことをしていて、いいんだろうか」
「いつまでこんなことが続くんだろうか」
これらの進化系が、
「私は何のためにいきているのだろ」
「何のために生まれてきたのだろ」
という哲学的で容易に答えの出ないところまで向って行きます。
自分の望む結果がなかなか出ないことや、
幸福感を感じ得ないときに陥る、
思考と気持ち、そしてスピリチュアル=「魂」との不協和音とも言えばいいでしょうか。
様々な外的要因によるストレスや自律神経の乱れによって、
精神の安定を欠いてしまい疾病を患うことで急激に襲われることもありますが、
その多くは自分というひとつの物体の中で一時的に起こっている、
思考・心・魂の歪だと思われます。
「いったい何をしてるんだろうか・・・」
「いいんだろうか・・」
この文言そのものは虚しさを表しているのではなく、
その後に続く「・・・」の部分が正しく人の虚しさの状態です。
「・・・」は分からない、戸惑い、困惑を表現している様に考えがちですが、
私達はこの「・・・」の先を本当は知っています。
いったい何を(自分がやると決めたこと)、
こんなことをして(結果が中々出ずに)、
いつまで続くんだろう(もう沢山だ)と心が叫びながら、
魂は静かに首を振り、思考は言い訳を繰り返す。
この歪みこそが「虚しさ」の正体なのではないかと、
自分と向き合い、ご依頼者に添わせて頂きながら感じています。
随分と前になりますが、ギタリストであり音楽プロデューサーでもあるCharさんが、
コンサートの前の心境を語っていた雑誌を読んで、
自分自身の「虚しさ」や「不安」の訳を否応無しに実感させられたことがありました。
Charさんは数え切れないほど演奏してきた楽曲でも、
コンサートの前には言い知れようのない不安に駆られるそうです。
その不安に打ち勝つのは経験でも実力でもなく、
何度も「練習」することだと語っていました。
空で演奏できるはずの楽曲を、まるで初めての演奏に臨むかのようにひたすら「練習」する。
それこそが「不安」に打ち勝つ方法だと言ってるのです。
襲いかかってくる「虚しさ」や「不安」の原因は、
思い通りならない結果によるものではなく、
望ましい結果を出すための過程にあると知らされた記事でした。
どんな言い訳を思考が用意したところで、
スピリチュアル=「魂」は望むところに辿り着くべく、
最大限の努力をしたかどうかを知っています。
だからこそ「不安」や「虚しさ」を感じる現象が現れます。
「不安」や「虚しさ」で押し潰されそうな時には、
そのありのままの自分を受け入れ、疲れた心を慰め、
「まだやることがある」とスピリチュアル=「魂」が教えてくれていると思って下さい。
きっとまた立ち上がれるはずです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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