明けましておめでとうございます。
昨年末は、まるで駆け込み寺の様な状態で、
冬期休暇がとれたのは明けて四日からでしたが、
転居先から徒歩5分程のところに、
日本三大稲荷のひとつと言われる「竹駒神社」があり、
大みそかの深夜には部屋に居ながらにして賑わいを感じるのだろうと思いきや、
PCに向いながら時折耳を澄ませても一向に気配を感じず、
思わずベランダに出て確認したほどでした。
私自身も昨年は引っ越しだけではなく、
色々な経験をさせて頂き感慨深くもあり、
元朝参りをしようと決めていましたので、
お風呂に入って身を清め(ダウンの中はパジャマという失礼振りでした)^^;
大鳥居に向う路地に入ると、
蒼然と並ぶ露天のテントや若者たちの賑わいで「お祭り」の雰囲気いっぱいに、
数年前の浅草寺を思い出しながら、
ひと足早いお正月気分を味わいました。
近隣の迷惑や交通渋滞等によって、特設駐車場を設けていて、
其処からはシャトルバスが往復し、
参拝客や住民に対しての配慮が施されていた為に、
路地一本の隔たりでも喧噪を感じなかったようです。
師走に入ると一年を振り返る機会も多く、
あっという間に過ぎた一年を、
細かく謙虚な気持ちで時を振り返れば、
感謝してもし切れないほどの、
数多くの「お陰様」に出会っています。
勿論、眼を背けたくなる、
出来れば無かったことにしたいことや、
塗り替えてしまいたい過去の事実は、
きっと誰にもあるはずですが、
「前向きに生きる」ことは過去を忘れ、今を生きることではなく、
どんな過去の中にも数え切れないほど隠れている、
感謝に気付き受け入れ、
そして今日を生きることです。
たまたま開いた個人ブログの中に、
この一年の間に出会った方々への感謝の気持ちを綴った文を見つけました。
「あの時、○○さんに出会わなかったら、今の私はなかった…」と、
助けられた思いの文言が並んでいました。
その女性にとっては正直な気持ちなのだと思いますが、
ふと、この方は、これまでの人生も、そしてこれからの人生も、
”一番新しい感謝”の気持ちに、
その都度塗り替えられ記憶され続けていくのだろうとか感じます。
今という瞬間は過去の瞬間の繋がりです。
ひとつの感謝は特定の方から受けた思いや行為から生まれるものではなく、
そこへたどり着くまでの過去の事実の繋がりなのです。
「今の私はなかった…」
きっと来年も、再来年も、別の方々への感謝の気持ちとして、
きっとそう言うのであろうと、
虚しさがこみ上げてきました。
ここ数年の感謝の土台には、
それ以前の何年もの歴史があり、
その歴史の中には沢山の感謝があったことに、
その方が気付かれたとき、
感謝という言葉に魂が宿るのだと思います。
スピリチュアルの種に、
正しい水やりをしていかなければならないと、
この時期に…、
この瞬間に…、
そのページを開かせて貰えたことに意味があるのだと、
居住まいを正して新年を迎えられたことに感謝でした。
「お陰様を持って」
今年一年を実りある一年に尽力して参ります。
最後まで読んでいただきまして、
ありがとうございました。
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