霊視鑑定は灯かりの扉から

スピリチュアル霊視 『灯かりの扉』

霊視鑑定の在り方

投稿日:

公に霊視鑑定を開示してから十年が過ぎ、
対面鑑定・出張鑑定と実際にご依頼者の方や、
そのご家族に直接お会いする機会が多くあります。

出張鑑定の場合には、お自宅や土地を霊視することが多く、
八宅派風水等の準備がありますので、或る程度の鑑定内容をお聞き致しますが、
対面鑑定の場合には、ご依頼者の他に霊視に関わる方のお写真を、
ご持参頂く旨をご連絡するだけで、
霊視鑑定の具体的な内容を事前に伺うことは殆どありません。

また初めてではないご依頼者の場合には、
視えてくることを先入観によって、私自身が歪めてしまわないよう、
過去の霊視結果を確認することはしません。

実際にお会いするまでは出来るだけ「無」の状態を意識するのですが、
スケジュールの確認や連絡先の登録の準備段階に入ると、
その時点で否応無しに感じるものもあり、
自身が影響を受けないように呼吸を意識したりと、
ある程度の覚悟をもって会うのですが、
想像以上に「負」の波動を受けていらして、
立ち上がっての挨拶すら困難な方もいらっしゃいます。

「今日はなにを視させて頂きましょうか」

私が口火をきると、少し深く息を吸われた直後から、
涙を流され言葉が続かない方が多くいらっしゃいます。

「お辛かったのね」
「どうぞ、お気兼ねなく涙を流されてください」と申しあげますが、
その涙は悲しみや苦しみ、痛みを越えた、
生きているからこその「魂の涙」だと解釈しています。

私達は魂の底(潜在意識)に於いて、ことの原因もどうすべきなのかも、
その総ての真実をも知っています。

感じることを否定したい気持ち、
認めたくない業、
すり替えたいエゴ、
こういった顕在意識が織りなす様々な感情や理屈が、
知っているはずの真実から遠ざけてしまいます。

ご依頼者の涙は真実を見ることの覚悟であり、
ようやくたどり着いた安堵であり、
自らを解放して得た自由の涙です。

だからその涙を見た瞬間に、
私は自身の役目の殆どが終わったと感じます。

そこから入っていく霊視によって読み解き導き出したことは、
今後の人生をより豊かに生き抜く為のアドバイスに過ぎません。

ご依頼者は聴き洩らしがないように真剣にメモを取ったり、
予め用意していたボイスレコーダーに、
鑑定中の私の言葉を録音したりします。

勿論、霊視によっての具体的なアドバイスは、
その後の継続した行動に重大な光を照らしますが、
私の言葉を聞き漏らさないこと以上に大切なことは、
何故それをするのか…、
誰の為にそれをするのか…、
そのスピリチュアル=「魂」にあります。

常日頃ご自身の利己的な行動や言動に気付かず、
家族という掛け替えのない人たちを傷つけてきた方も、
私の話を真剣に聞かれていらっしゃるその瞬間は、
ご家族の幸せを願い祈る切なる人、
それ以外の何ものでもありません。

そのご自分を再認識することが何より重要だと考えます。

出張鑑定でお自宅を訪ねすることは、
土地の氣や波動の歪みだけではなく、
ご家族同士の絡み合った歪みを読み解き、
心当たりを確認し合う手助けなのだと、
鑑定を繰り返しながら痛感します。

鑑定を終えてご自宅を後にするとき、
「もう大丈夫」と心の中で呟きます。

霊視は自分に与えられた能力を、
「当たる」という狭い領域で知らしめることではなく、
幸せになろうとして生きている人たちが、
明日へ渡るための橋を視つけて差し上げることだと確信しています。

本日も最期まで読んで頂き、ありがとうございました。
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