反抗期によくありがちな、
「好きでこの家に生まれてきたんじゃないわよ」と、
子供は親を選べないを前提の台詞ですが、
子供は親を確かに選んで、この世に生れてくるのだと思います。
「私はもっとお金持ちの親の元に生れたかった」
「私はもっと見識のある親の元に・・・」
「私は・・・」と、
誰もが一度くらいは、与えられていないことに対しての、 不運を嘆いたことがあるのではないでしょうか。
けれどスピリチュアル=「魂」の視点からみると、
私達はみんな総てのことを与えられています。
与えられなかったことでしか得られないことを、
与えられているのです。
持っていたばかりに、見えないことや感じ得ないことがあるように、
持っていなかったからこそ、
共有できる感情やパワーが存在します。
有形無形に関わらず、現存物質の有無は、
総てスピリチュアル=「魂」の育成に通じる、
単なる門に過ぎません。
肉体を含め現世で手にした物は総て、
この現世に置いていかなければなりません。
現世で生き抜いたスピリチュアル=「魂」だけが、
来世まで持っていける唯一無二のものなのです。
親が与えてくれたもの、
また与えられずして得たものを通して、
この一回きりの掛け替えのない人生で、
スピリチュアル=「魂」を育てていくことそのものが、
私たちみんなに平等に与えられた使命です。
我が門の前で地団太を踏みながら、他人の門を羨むのではなく、
これが我が使命なのかと深呼吸と共に飲み込み、
果敢に挑みくぐり抜けて行きたいものです。
ひとつ門をくぐれば、その先に何がるかなど、
くぐって見なければ分かるはずもなく、
門の先にはまた門があり、
くぐり抜けてもくぐり抜けても、次の門があるだけなのかも知れませんが、
くぐり抜けた者にしかその先を知ることは出来ないのです。
孤独な繰り返しに違いありませんが、
与えられた「世」を生き抜こうとする意志と覚悟を持つ者の魂からは、
眩いばかりの光が放たれることでしょう。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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